台本の有無は問いの立て方が違う
リアリティ番組について台本があるかないかを問いますが、実際にはその間に広い領域があります。せりふを決めなくても、誰と誰を同じ場所に置き、どんな課題を与えるかを決めるだけで、起こりうることの範囲は大きく絞られます。状況を設計すること自体が物語を作る作業です。
台本があるかという問いは単純ではありません。作り方に答えがあります。
リアリティ番組について台本があるかないかを問いますが、実際にはその間に広い領域があります。せりふを決めなくても、誰と誰を同じ場所に置き、どんな課題を与えるかを決めるだけで、起こりうることの範囲は大きく絞られます。状況を設計すること自体が物語を作る作業です。
数日間、複数のカメラで撮った数十時間分が1時間に縮まります。何を残し何を捨てるかが、その人の印象を決めます。静かに過ぎた時間は画面に残らず、感情が表に出た数分だけが残るため、実際より劇的に見えます。
同じ場面も順番と配置によって違って読めます。別の日の話を場面の上に重ねる、時間の順を入れ替える、音楽を乗せる。それだけで同じ行動が違って見えます。
撮影中だと分かっている以上、完全に普段どおりに振る舞うのは難しいものです。時間がたって慣れたとしても、カメラを意識した選択が混ざります。これは仕掛けというより、人が観察されているときに出る自然な反応に近いです。
完全に作られた物語ではない、という点は残ります。設計された状況の中で実際にどんな反応が出るかは、作る側にも全部は予測できません。ただし画面に見える姿がその人のすべてだとは考えないほうが、見る側にも出る側にもよいでしょう。
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